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12月28日 デッサンデッサンを習い始めて半年が経ちました。全く描くことができなかった私も、適切な指導のお陰で少しは表現が出来るようになりました。
絵の教室では自分で選んだモチーフをひたすら描き続け、先生が時々アドバイスをくれます。
明暗の付け方、鉛筆の選択、その物らしく見えるためのポイント等々。
質感~ガラス 紙 陶器 プラスチック 果物・・・Hの鉛筆かBの鉛筆か・・・立てて使うのか寝かせて使うのか
明暗~どこが一番暗いのか・・・不思議なことにじっと見ていると微妙な明暗が見えてきます
立体を平面の中で表現することは難しいけど面白いです。 12月21日 年末の調整年末に向けて退院を迫られている利用者さんがいます。
ご家族にその認識が無くてなかなか退院の話にならないので、病院のMSW(相談員)から連絡がありました。まず、病院に行って本人の状況を確認。MSWに会って病院の事情を確認。ご家族に会って意向を確認。
ご家族は認知症があり寝たきりのMさんの介護に自信が無いとの事でした。通所サービスの回数と短期入所の日にちを増やして、出来るだけ自宅にいる時間を少なくすることを提案し、ご家族の了解て退院することになりました。12月中に予定していた短期入所は、施設の都合で急に利用できなくなり、MSWに相談して退院を年明けにしていただきました。
1月5日から短期入所1週間。その後自宅でサービスを利用し、1月中旬と下旬にも短期入所を利用。なかなか空きが無くてヒヤヒヤしましたが、なんとか1月は調整完了。短期入所の空き状況次第ですから、毎月スケジュールが変わります。2月は早めに手を打って置かなくては・・・。
ところが予定していた短期入所の施設にウイルス性の胃腸炎が蔓延し、年明け早々の短期入所が利用できなくなると連絡が入りました。
「年内に治まれば1月5日からは利用できますよね」と交渉してみましたが確実ではないのでキャンセルすることにしましたが、ご家族は1月4日に退院すると病院に話してしまったし・・・空き状況は聞き尽くしていましたから・・・。
どうしよう~と途方に暮れていたら朗報。1月は満床との返答を受けていた施設から「Mさん、どうなりましたか?短期入所のベッドに空きが出たのですが」と連絡が入りました。ギリギリのところで助けていただきました。施設の相談員さんにはこんな風に助けられることが多いです。
年末の調整は時間勝負。ケアマネは出来る限りの努力、思いつく限りの手を尽くしますが、何とかなるのはみなさんの協力のお陰です。ご家族・病院・サービス事業所・・・妥協点を見極めるのもケアマネの役割です。 12月16日 今年はどんな年???今年はどんな一年だっただろう・・・振り返ってみると、結構いい一年だったように感じます。
1月~3月 映画を見たりして気ままに過ごしました。
4月 仕事で役割が付いたので、それまでと気持ちが少しですが変わりました。そしてアイルランド旅行の準備開始~。
4月末 自転車購入。お天気が良くて時間があれば近くをポタリング。休みの過ごし方が変わりました。
5月末~6月 アイルランド旅行。
7~9月 サイクリング。徐々に距離を伸ばして、50㎞は走れるようになりました。
9月~11月 父の体調が悪化したので、ほとんどの週末は実家か病院で過ごしました。父を自宅で看取ることができたことは一番の思い出です。
12月 研修講師をする機会があり、準備に追われましたが達成感のある仕事でした。
昨年は演劇、美術館、映画~と芸術に親しんだ一年でした。
今年は・・・映画はアイルランド往復の機内でたくさん見たので、映画館にはあまり行きませんでした。
それでも美術展は3つ、クラシックのコンサートにも行ったな~。
そうそう 1月~3月 には水彩色鉛筆の講座に行き、デッサン力の必要性を感じて、7月から絵画教室に通っています。
やりたいことを実行した1年~だったかな~。
来年したいこと・・・
サイクリングで湖一周すること。
再びアイルランドに行くこと。
あとは・・・いらない物を思い切って捨てること かな。 12月7日 父~葬儀を終えて看護師さんから出来るだけ早く会わせたい人に会っておいた方が良いと言われていました。
11月28日の夜、姉が来ました。日曜日の夕方までの短い滞在です。29日には父の姉と弟が会いに来ました。でも28日からは目を開けることはありませんでした。
みんなの呼びかけが聞こえるのかどうか・・・反応は出来ないけど、最後まで聞こえているそうですから、父はきっと喜んでいたと思います。
11月30日 朝 昼 夜 と3回看護師さんが訪問してくれました。呼吸の状態は刻々と変わり、今夜が危ないと教えてくれました。「明日お会いできることを期待して今日は帰ります。」と・・・。
側にいる家族が慌てないように、手足が冷たくなり、呼吸の様子が変わり、時々呼吸が止まることもある・・・とのこと。このアドバイスのお陰で、母と私は落ちついて父の側に付いていることが出来ました。
23時頃から呼吸の様子が変わったので、ベッドの両方から母と私が父の手を握って話しかけていました。
母がブラシで乾いた口内を潤しました。そして私も同じように・・・反応がありましたが・・・口からブラシを出してから呼吸を続けることはありませんでした。時間を見ると23:20。キリが良いから12月1日の零時まで待ってと父に話しかけ続けましたが・・・
たくさん涙が出ました。
何の涙だろう・・・悔いのない寂しさだけの涙でした。
1月に肺ガンの診断を受け、告知しないことを家族で決めました。
父の病状は悪化せず、9月上旬まで大好きなゴルフを続けていました。
9月中旬から食欲が低下してきました。
10月に入り 一週ごとに悪化する父を見て母の不安も大きくなりました。
10月22日 受診。車いすに座っていることも辛くてそのまま入院。
毎日の点滴で体力は回復しましたが、自分の置かれている状況の理解が困難になり退院願望が強くなりました。
担当医と相談しましたが、なかなか退院させてくれません。
なんとか交渉の末に獲得した外泊は11月1~3日。自宅に戻りほっとした表情をみせ、混乱も落ちつきました。もしかしたら年を越せるかも・・・と。
病院に戻り、在宅療養に向けての準備。
インスリンの調整でなかなか退院許可が下りないもどかしさ・・・
医師と相談し家族の思いを伝える~出来るだけ早く退院させて欲しいと・・・・そんな毎日。貴重な一日がどんどん過ぎていく。
11月17日 半ば強引に退院し在宅療養が始まりました。
11月22日 急変 在宅酸素と吸引機が運ばれ、病室のような部屋に。医療スタッフの適切な処置で一旦安定。
11月26日 はっきりとした口調で「ズルをせずに真っ直ぐ生きなさい」と言ってくれた。これが私に残してくれた最後の言葉。
11月27日 再度急変 反応無く眠って過ごす。
11月28日 夜 姉が駆けつける。
11月29日 父の姉妹が会いに来る 呼吸状態が悪化。母と姉と一緒に懸命に呼びかける。
11月30日 夕方 姉が後ろ髪を引かれる思いで帰る。呼吸状態は益々悪化。そして死亡。
家族みんなが出来る限りのことをしました。
父も痛みをあまり感じることなく、私たちも達成感のある時を過ごしました。
私は娘で良かった。ありがとう お父さん。 |
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