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日志


12月7日

父~葬儀を終えて

看護師さんから出来るだけ早く会わせたい人に会っておいた方が良いと言われていました。
11月28日の夜、姉が来ました。日曜日の夕方までの短い滞在です。29日には父の姉と弟が会いに来ました。でも28日からは目を開けることはありませんでした。
みんなの呼びかけが聞こえるのかどうか・・・反応は出来ないけど、最後まで聞こえているそうですから、父はきっと喜んでいたと思います。
 
11月30日 朝 昼 夜 と3回看護師さんが訪問してくれました。呼吸の状態は刻々と変わり、今夜が危ないと教えてくれました。「明日お会いできることを期待して今日は帰ります。」と・・・。
側にいる家族が慌てないように、手足が冷たくなり、呼吸の様子が変わり、時々呼吸が止まることもある・・・とのこと。このアドバイスのお陰で、母と私は落ちついて父の側に付いていることが出来ました。
 
23時頃から呼吸の様子が変わったので、ベッドの両方から母と私が父の手を握って話しかけていました。
母がブラシで乾いた口内を潤しました。そして私も同じように・・・反応がありましたが・・・口からブラシを出してから呼吸を続けることはありませんでした。時間を見ると23:20。キリが良いから12月1日の零時まで待ってと父に話しかけ続けましたが・・・
 
たくさん涙が出ました。
何の涙だろう・・・悔いのない寂しさだけの涙でした。
 
 
1月に肺ガンの診断を受け、告知しないことを家族で決めました。
父の病状は悪化せず、9月上旬まで大好きなゴルフを続けていました。
9月中旬から食欲が低下してきました。
10月に入り 一週ごとに悪化する父を見て母の不安も大きくなりました。
10月22日 受診。車いすに座っていることも辛くてそのまま入院。 
 
毎日の点滴で体力は回復しましたが、自分の置かれている状況の理解が困難になり退院願望が強くなりました。
担当医と相談しましたが、なかなか退院させてくれません。
なんとか交渉の末に獲得した外泊は11月1~3日。自宅に戻りほっとした表情をみせ、混乱も落ちつきました。もしかしたら年を越せるかも・・・と。
病院に戻り、在宅療養に向けての準備。
インスリンの調整でなかなか退院許可が下りないもどかしさ・・・
医師と相談し家族の思いを伝える~出来るだけ早く退院させて欲しいと・・・・そんな毎日。貴重な一日がどんどん過ぎていく。
11月17日 半ば強引に退院し在宅療養が始まりました。
11月22日 急変 在宅酸素と吸引機が運ばれ、病室のような部屋に。医療スタッフの適切な処置で一旦安定。
11月26日 はっきりとした口調で「ズルをせずに真っ直ぐ生きなさい」と言ってくれた。これが私に残してくれた最後の言葉。
11月27日 再度急変 反応無く眠って過ごす。
11月28日 夜 姉が駆けつける。
11月29日 父の姉妹が会いに来る 呼吸状態が悪化。母と姉と一緒に懸命に呼びかける。
11月30日 夕方 姉が後ろ髪を引かれる思いで帰る。呼吸状態は益々悪化。そして死亡。
 
家族みんなが出来る限りのことをしました。
父も痛みをあまり感じることなく、私たちも達成感のある時を過ごしました。
 
私は娘で良かった。ありがとう お父さん。
11月27日

父~急変 安定  そして悪化

22日の夜、母に代わって夜の付き添いをしました。
11月1~3日の外泊時はなんとか歩いてトイレに行っていましたが、24時間点滴をしていることもありベッド上で尿器を使用して排せつしています。夜間のトイレの介助が必要なので父のベッドの横に寝ています。先週はまだ訪問介護が入ってなかったため母も介護と家事に忙しかったようです。 
寝る前におむつを換えました。ちょっと手荒い私に、父が「おまえは手荒いな~。○○さんじゃなくて あらいさんだな」とユーモアたっぷりに言い、大笑いしました。
 
午前2時~父は咳き込み呼吸の苦しさを訴えるようになりました。呼吸苦は初めての訴えです。看護師さんに連絡し、その日は3回も訪問していただきました。体の酸素濃度は85%。酸素 吸引機、点滴の追加・・・。色々な機器が運ばれて病室のようになりました。
その夜からは落ちつきました。医療スタッフの適切な処置のお陰です。昨日も穏やかに過ごしていたのですが・・・。今日のお昼に看護師さんから病状の悪化が進んだと連絡が入りました。母に電話で確認すると「大丈夫」とは言うのですが・・・???心配なので明日仕事が終わったら実家に行くことにしました。
 
ホットできる日は続きません。12月上旬にどうしても外せない仕事が入っているので何とかそれまでは頑張って・・・。
11月19日

父~寄り添う気持ち

父の認定結果が届きました。要介護2です。3くらいは~と思っていましたが、身体機能は問題無しなので考えてみると妥当な結果です。
退院までは母に代わり私が様々な調整をしてきましたが、退院後は担当のKケアマネにお任せし助かっています。母にとってもいい相談相手で、何かあると「Kさんに連絡する」と言っています。
利用するサービスは・・・医療で訪問診療と訪問看護(+介護保険の居宅療養管理)。介護保険で福祉用具のレンタルと購入、訪問介護です。
 
利用者の立場になって日々感じることがたくさんあります。
今まで仕事で何気なく行ってきたこと、提案してきたことは、少し強引だったかなと。
サービスを受ける立場になって矛盾を感じること、遠慮すること、意に添わないことをいかに専門家にわかってもらおうか頭を悩ませること。
利用者やその家族の気持ちに寄り添おうとしてくれるその気持ちに支えられます。時には提案者、時には賛同者。寄り添おうと努力してくれている事はしっかり伝わります。その気持ちが安心感に繋がります。それでいて冷静で淡々と仕事をこなしてくれる専門職。家族はどっぷりと感情の世界に浸りますから冷静に判断してくれる人が必要でもあります。
 
父には沢山のことを教えてもらっている毎日です。
 
今日、電話で話をしました。自宅に戻ったらもっと元気になるかと思っていましたが声は弱々しく体力の低下を感じます。
声が詰まるのを気がつかれないように受話器を置きました。
お父さん お正月は一緒に迎えましょう。
11月17日

父~退院 そして 在宅療養のスタート

今日の16:30からのカンファレンスを終え、明日の午前中に退院を~と勧めてくださった病院の方々の気持ちを丁寧にお断りして、18:00過ぎに自宅に戻りました。
今日の退院に向けて動いてくださった方たちに感謝の気持ちで一杯です。
 
病院の医師・看護師のみなさん・医療相談員さん・薬剤師さん・栄養士さん・事務員のみなさんやお掃除の方たち
クリニックの医師・看護師さん・相談員さん
担当ケアマネのKさん・福祉用具の担当者さん・有料のヘルパーさん
 
そして~
心配して声をかけてくださる同僚のみなさん
何も言わずにお休みを了解してくれる上司
気持ちを支えてくれている友人
 
入院生活は一旦終了ですが、第2ステージの在宅療養がスタートします。
これからも多くの人達に支えられての在宅療養です。
みなさんよろしくお願いします。
11月16日

父~明日 退院できるかな

11月11日にポート造設の再トライで成功しました。次の日にでも退院できる事を想定していましたが、インスリンの調整が必要とのこと。早々の退院を一旦諦めていた母でしたが、12日の夜中に「金曜日の夜にでも退院させる。明日 師長さんに話してみる」とのメールが入りました。
 
13日の夕方に医師との話し合い。
医師の考え:「血糖値が安定しないと、今退院しても悪化して再入院になる危険がある。インシュリンの調整をして安定しないと退院させられない。今週末の退院は無理。」
母の考え:「本人の精神状態は限界。もうこれ以上入院を長引かせると、夫婦の関係も悪くなる危険もある。自宅に戻りたいという本人の気持ちを第1優先したい。」
私の考え:「出来るだけ体調が安定した状態で在宅療養をスタートさせたい。少しの期間であれば退院を我慢して欲しい。母が父を見ているのが辛いのであれば出来る限り私が付き添って負担を軽減したい。」
そして・・・ 
妥協案:インシュリンの調整を通常より速いペースで行い血糖値の安定を見極める。日曜日の午前中の数値を見て安定していれば月曜日に退院。不安定であれば、一旦調整を中止して、外泊して父の気持ちのリセットを行い再調整に入る。
 
なんとか妥協案が決まりましたが、充分に納得していない母。母の気持ちを100%バックアップできなかった私。
「人の尊厳とは~」そんな話まで出た医師との話し合いでした。
金曜日の夜から今日のお昼まで付き添い、母の気持ちも分かりました。父の退院願望はかなりものです。
 
月曜日には退院後に訪問診療をしてくれるクリニックの医師・看護師・相談員が入院先に来てカンファレンスの場を持ちます。私は仕事で同席できませんが・・・。
多くの人達に支えられて在宅療養が実現するということを改めて感じています。
11月9日

父~入院中の事故防止策

父が入院するときはいつも母が付き添っていました。大抵は検査入院ですから1週間程度で、何とか母の体力は持ちました。今回はいつまで入院が続くかわからない長期戦。
ある日、母が自宅に荷物を取りに帰った時、丁度来客があり病院に戻るのが遅れたそうです。父は不穏になって看護師さんはなだめるのにとても苦労したそうです。
付き添いの大変さを知った看護師さんは母の体調を心配し、何とか夜間に付き添わなくてもいい方法を~と考えてくれました。
そこで登場したのが、ベッドサイドの「徘徊感知センサーマット」と「うーご君」(下の写真)です。
センサー1←拡大するとよくわかります
センサーマットは介護保険のレンタルにもあるので知っていましたが、「うーご君」は初めて見ました。
写真の緑丸部分のクリップを寝た状態で衣類の衿に挟みます。起きあがると赤丸部分のセンサーが外れて看護師さんが持っているセンサーのブザーが鳴る仕組みです。寝返り程度では鳴らないようにヒモの長さが調整してあります。
父の部屋はナースステーションの前にあるので、起きあがるとすぐに飛んで来てくれます。夜間は安定剤代わりに家族が付き添い、トイレの介助等は看護師さん任せです。と言っても私が付き添うときは目が覚めるので色々と手伝っていますが・・・。
転倒時ののクッション用に夜間はベッドの下にマットレスを敷いたこともありましたが、歩行がかえって不安定になるので今は使っていません。
看護師さんも色々と考えてくれています。
 
介護用品には面白いネーミングの商品がたくさんありますが、この「うーご君」も受けました^^
11月8日

父~在宅療養の準備・・在宅ホスピスとホスピス病棟

先日、父の入院先の緩和ケア病棟を見学しました。病室はフローリング、家具やベッドは木調で、まるでビジネスホテルの一室のよう。家族の控え室やキッチンもあり、家屋とゆっくり過ごせるように配慮されています。精神科の医師を含めた緩和ケアチーム、お茶会などの行事・・・病院のイメージを変える病棟でした。いざというときに受け容れていただける安心感を持ちました。
 
その後、退院後の訪問診療をしてくださるクリニックへ母と一緒に行ってきました。ホスピスケアの信念を持ったM先生他ケアチームのみなさんの思いが伝わり、母は安心したようです。担当のKケアマネにも同席していただき、在宅療養の話し合いもしました。
クリニックで相談している間に父はポート造設。担当医から一週間後に抜糸したら退院と言われていましたが、父の状況を知ったM先生「抜糸は私でもできますよ。今週末に退院できるか担当医に確認してみます」とのこと。母も私も期待が膨らみます。
結果は・・・ポートの造設が出来ず、来週再トライとのことで週末退院は実現しませんでしたが、家族の思いを受けて動いてくださるM先生の行動に信頼感を持ちました。
 
その夜と次の日の夜~翌日の午後まで母に代わって付き添いました。飲み込みが悪くなってきた父の食欲はゼロ。薬の内服もやっとの状態のため看護師さんに相談したところ薬の量を減らしていただきました。3度の食事にストレスを感じている事も話し、食事を止めていただくことも相談。色々と我が儘をきいていただいています。
 
「いつ帰るんだ」と何度も尋ねる父に「この点滴が終わらないと帰れないよ~。終わるのは夜だから、今日は帰れないね」と繰り返す私。母の姿を見ると甘える父。一生懸命に状況を説明する母。
一日も早い退院を願っています。
11月3日

父~やっぱり自宅がいい

父は2泊3日の外泊を終えて病院に戻りました。
夜は居間に布団を3つ並べて、姉 父 私。母は別室で休んでもらいました。布団からの立ち上がりに介助は必要ですが足取りも安定しており、トイレの中も自立。日中は居間のリクライニングの椅子に座って過ごしたり横になったり。洗面も洗面所で~当たり前のことですが、病院では歩かせてもらえませんでしたから・・・。一家の主ですから顔つきが違います。病院では混乱していた記憶も戻りました。食欲はなく、病院から持参した高栄養ドリンクだけは何とか摂取。薬局で見かけた栄養ドリンクを勧めましたが口に合わないようです。栄養も水分も・・・点滴無しの生活は3日間が限度かも知れません。
 
母の姿が見えないと心配になり、昼寝をしている母の元で「母さん。大丈夫か。死んでないか。」と母の顔に手をやる父。母が声を掛けると「母さんがいないとダメなんだ。」と、そのまま母の横で横になってしまいました。母の労をねぎらい頼りにしていることを言葉で表現する父。それに一生懸命に答える母。素敵な夫婦です^^
 
父はとても機嫌良く3日間を過ごしました。親子水入らずで過ごした3日間はなかなか楽しかったです。
 
さて、今週は在宅生活に向けての準備の週です。ちょっとだけ気合いが入ります。
10月30日

父~退院に向けて話し合い

昨日は仕事を早めに切りあげて病院に行きました。
16:00~退院後訪問診療を依頼したHクリニックのソーシャルワーカーが、聞き取りと説明のため入院先の病院に来てくださいました。24時間体制で支援してくれるとの話に、母はかなり安心したようです。距離も何とかクリアとのことで、来週クリニックに診療情報を持って具体的な診療計画を立てるために母と一緒に行ってきます。
 
17:00~担当医からの病状説明。抗生物質の点滴を続けるも効果は見られず、炎症反応の数値は高いまま。CT検査の影像で食道の周りに影があり、転移か新しい腫瘍か、炎症か・・・炎症反応の原因追及のために胃カメラ検査をしたいとのこと。母は「もうこれ以上は苦しい思いをさせたくない」と反対。私は「病気の現状を知るためならば、検査で予後の予測も着くかも知れないので賛成」。その場で色々と話し合い、母は渋々同意。その後医師と廊下ですれ違った時に「お母さんは納得していないようなので、検査直前でもキャンセルできますから」と伝えてくれました。私は賛成した物のその判断に迷いがあり姉に電話で相談。姉は「胃カメラは負担のかかる検査ではないので受けた方が良いのでは」とのこと。
些細なことでも、家族全員が納得して進めてきたい・・・。
 
在宅療養の準備として「埋め込み型のポート」と「膀胱留置カテーテル」。
腕からの点滴が入らなくなってきているので、本人の苦痛の軽減と管理の容易さでポートは必要と判断。入院中に造設して貰うことにしました。
問題は膀胱留置カテーテル。医師はかなり消極的。今のままでは介護者が倒れてしまう。排せつの問題が解決しないと在宅療養できない。本人が抜去する可能性も大きいので入院中に試して本人にも慣れて欲しい。試してダメだったら時期尚早と諦めます。今晩は私が付き添うので、出来れば今晩から~と交渉。医師の気持ちは動いた!!医師「今日の夜勤は誰?・・・」  看護師「○○さんです」  医師「・・・・今晩はやめておきましょう。」日中に試して見ることで合意し、一歩前進。
 
後は退院日。父は「家に帰りたい」とかなり興奮状態。母でさえ気持ちを抑えることが出来ません。でも母が切望する「今週末」は無理そう。で、外泊案を提案し、今日の夕方に11月1~3日の外泊許可がおりました。丁度 遠方に住む姉が来るので自宅で親子で過ごします。ただ・・・その後病院に戻ってくれるか・・・・・・・・・・・・?????
 
退院に向けての準備に加速がつきました。
もちろん在宅療養の不安はあります。でも、このままでは母も私も体力が持ちません。自宅で看取ることは出来ないかも知れないけど、出来る限りのことはしたいと思っています。
10月27日

父~元気だけは回復

仕事帰りに父の様子を見てきました。
6日間の点滴のお陰か、とっても元気になっていました。ただ、現状理解が出来ていないのでひたすら「家に帰る」と言って母を困らせていました。母も日曜日の午後からの付き添いに疲れた様子。看護師さん達も母の疲れを理解してくれて、夜間に付き添わなくてもいい方法を考えてくれているようです。元気になった分活動性がでてきて、ベッド柵は簡単に乗りこえられそうです。
昨日と違った症状の一つに「声のかすれ」が見られました。食欲不振、体重減少、発熱、咳、痰、しゃっくり・・・。血痰はまだ見られません。
 
母の体力の限界・・・家に帰りたい父。
今日、在宅療養かホスピス病棟への入院か迷っていることを在宅ホスピスの専門クリニックに電話で相談しました。今週水曜日の16:00にそのクリニックの相談員が病院に来て色々と説明してくださるようです。M先生は地域ではホスピスの先駆的な存在の医師で信頼できます。在宅での看取りを専門的に行っていきたいとクリニックを7月に開院されました。ただ、少し距離が遠いので訪問の頻度なども考えて受け入れの判断したいとのこと。訪問診療していただけることを祈るだけです。
 
水曜日は その後17:00から担当医からの病状説明。私も同席します。そしてその夜は母に代わって付き添いの予定。
 
まだ迷いがあるので担当のケアマネさんに正式に依頼するのは水曜日の話を聞いてからにしようと思っていますが、急に退院になった場合にベッド一式だけは必要なので、明日、福祉用具の業者さんに連絡して在庫の確認と搬入の日にちを押さえておこうと思っています。
10月26日

父~入院中の混乱

金曜日と土曜の午後7時頃から翌日の昼迄、母に代わって入院中の父に付き添いました。
金曜日の夜に病室に着いた時は丁度解熱直後で食事の準備中でした。私の顔を見て笑顔が見られ食欲もあり、ほぼ全量摂取してくれました。食事している父を見るのは久し振りなので嬉しかったです。状況理解が出来ていない父は、母がいないときにベッド柵を乗り越えようとしたそうで、感知センサーマットがベッドの下に設置されていました。私が付き添っている間も、トイレに行くときなど部屋を離れるときはスイッチオンです。
 
9:30 消灯。
しゃっくりが止まらず、暫く様子を見て看護師に連絡し、「しゃっくり止めの薬」を内服。その薬が効き始めたのは1時間後、内服の効果は1~1時間半しか続きません。3回内服しましたが効果は同じなので看護師に相談し、翌日から食前に漢方薬が処方されました。それでも効果がないときは注射になるそうです。
日中、1200ccの点滴をするので何度もトイレに起きます。尿意で目を醒ますと1人でトイレに行こうと動くので目が離せません。しゃっくりと咳とトイレの介助でほとんど眠ることは出来ませんでした。日中も夜間も付き添っている母の体力が心配です。なんとか仕事の都合をつけて週中に1晩でも付き添えれば・・・。
 
土曜日の夜、病室に行くと父の話から混乱が感じられました。自分が何処にいるのか、どうして病院にいるのか・・・わかっていません。
前日の寝不足で一瞬深い眠りに入ってしまった私・・・気がつくとベッド柵を半分乗りこえている父の姿。「待って、待って・・・!!」。父の体を支え、ポータブルトイレを引っぱり、感知センサーで飛んできてくれた看護師と何とか体制確保。ふ~危なかった。
「1人でベッドから降りて怪我をしたら当直の看護師さんの責任になるから、必ず声をかけてね。」と言うと「他人に迷惑を掛けることは出来ない」と。しばらく看護師さんに「迷惑は掛けない」と言っていましたが、本当にわかって言っているのかどうかは不明。
 
点滴で入院前より元気になっているように見える父。連日の付き添いに自信を無くしている母。抗生物質の点滴がどの程度効いているのか・・・ガンの進行を止めているわけではないので。放射線治療の効果が見られるとの廊下での立ち話を耳にしたときに、積極的な治療を行わないと決めたことが果たして正しかったのかと疑問が・・・
父の認知症の進行で、ガン未告知の精神的なストレスは軽減しました。「在宅かホスピスか」とのことだったので、ネットで調べたホスピス情報を母に渡しました。それを見て揺れ動く母。そして今日「自宅で看取ろうか・・・」と・・・。
その為に一番重要なのは在宅で最後まで見てくれる医師の力量。在宅ホスピスのクリニック情報と受け入れ可否の確認は私の役割です。
担当医との今後についての相談は今週中に。まだまだ先は見えない。
明日は介護保険の認定調査があります。要介護4か5か・・・。
10月22日

父~入院

今日、父の受診に付き添いました。
体力低下で何とか車に乗り込みましたが、院内の移動はさすがに辛そう。「まだまだ大丈夫」と言っていた父に車いすを勧めると抵抗無く座ってくれて「これは楽だな~」と。ちょっと安心した自分と、素直になってしまった父への不安・・・。
まずレントゲン検査をうけて診察を待ちました。写真を見ながら医師は~「肺炎は悪くなっていないが、貧血があるようなので血液検査をしましょう」と。
血液検査後、結果待ちの長い待ち時間。すっかり疲れ切って車いすに座っていることできずに待合室の椅子に横になる父。かなり辛そう。
血液データを見た医師から私が代表で話を聞きました。「炎症反応の数値がかなり高いですね。栄養もとれていないようなので炎症の治療の為入院しましょう。癌との関係は検査をして見ないとわかりません。」とのこと。
昨夜、トイレに起きた父は途中で力尽きて動けなくなってしまったようです。受診前に母から「出来れば入院を・・・」と話を聞いていたので即決で入院決定。父も体が辛くて仕方がない状況のため入院承諾でした。
 
入院前にCT検査を受けました。病室に落ちついた頃担当医からCT検査の結果の説明がありました。今度は母と一緒に説明を聞きました。
レントゲンでは肺炎の影響とのことでしたが・・・
「がんの腫瘍がかなり大きくなっており、リンパにも腫瘍が見られます。今後他の臓器への転移も考えられます。消炎の点滴をして様子を見るがそれ程の効き目は期待できません。1週間ほどで効果を見極めます。効果がない場合は・・・あとは対処療法になるので・・・ホスピス病棟か在宅療養かの選択になります。当院の緩和病棟は混んでいるので、他の病院を紹介することになります。」と医師からの話でした。
転院しなければならないのなら・・・一旦退院して在宅療養をして、介護や看護が難しくなったら入院する・・・そんな方法にしようかなと母と相談しました。まだ決定ではありませんが・・・。
入院中に親戚に面会に来て貰うことに、遠方に住む姉は11月上旬に来ることになりました。
 
父は点滴を受け、病院にいることで気持ちが安心したのか少し元気になりました。ただ、入院したことをなかなか理解できない様子で、「今日はここに泊まるのか?」と何度も聞きます。
午後から10時間に及ぶ点滴開始。訳が分からずに起きあがってしまう危険もありますから、個室に入り母が付き添います。週末は私がバトンタッチの予定。
 
在宅療養に向けて、介護保険の申請をしてきました。
10月19日

父~体力も気力も低下

昨日と今日、父の様子を見てきました。
先週より咳や痰がでてきています。37度台の熱が続いています。食欲はなく、好きな甘い物も食べなくなりました。一週ごとに病状の悪化が感じられます。血液検査の数値も悪い結果を示しています。かかりつけの個人病院の医師からは総合病院の受診を勧められているそうです。
 
母の心配は、①受診したら入院を勧められること ②入院したら家に帰ることが出来ないかも知れないこと ③まだ親戚に現状を知らせておらず、そのタイミングに迷っていること です。
個人病院の担当医は在宅療養に積極的ではないようなので、母と相談して今週中に総合病院を受診して現在の病気の進行具合を確認することにしました。
 
体力の低下と共に、トイレに立つことができなくなるのも、そう先のことでは無さそうです。
母は出来るだけ自宅で療養させたいと考えています。ただ全く動けなくなったら、入院した方が父は楽なのかも知れないので、入院の選択肢は残っています。
母の不安と問題点については~
膀胱留置カテーテルになったら・・・・・・・・自宅で管理は可能。管の交換は往診か訪問看護で。
痰の排出が自力でできなくなったら・・・・・・・・吸引機をレンタルすることは可能。
呼吸が苦しくなって酸素が必要になったら・・・・・・・・借りることは可能。
呼吸が楽な姿勢を保持するために・・・・・・・・介護ベッドのレンタルも可能。
毎日点滴が必要になったら・・・・・・・・訪問看護を利用。特別指示書を書いて貰えるなら、医療保険で毎日来て貰うことができる。
 
父の病状と母の体力、そして私ができること。
たくさん考えて、現状で最善と思える方法を選びたいと思っています。
10月11日

父~食欲低下

父のことを後で思い出せるように、記録として書きつづっておきたくなりました。
 
今日は朝から実家へ。母が用事でどうしても出かけなくてはならないので、お留守番~父の見守りです。
9時頃起きてきて朝食を勧めました。「食欲がないんだ」と言いましたが、薬を飲まなくてはならないので何かは口に入れた方が良いよと言い、みそ汁・お米のパンを1/4程・梨を1/4個食べて貰いました。目の前に食べ物がたくさんあると余計に食べたくなくなる様なので、お皿に少しづつ盛りつけました。母からのアドバイスです。昼食はお饅頭を1/2個。やはり「食べたくない」と言っていましたが、目の前でパクパク食べる私を見て少しつられて食べてくれました。
前回来たときはソファーに寝ていましたが、今日はしっかり着替えて椅子に座っていました。私に気を遣っているのかな~?何度も「そろそろ顔を洗わんとな」と良いながらも、動くことが億劫な様子です。5時頃に母が帰ってきました。夕食は湯豆腐。お豆腐3切れは食べてくれて少しほっとしました。
 
お顔色はますます蒼白になったようで痩せてきました。3週間で-4㎏とのこと。
月曜日に個人病院を受診し、食欲がないのは病気の進行が原因とのこと。肺ガンの診断を受けたときに医師から聞いていた症状の現れです。咳はあまり出ませんが、次は呼吸が苦しくなると・・・。母は、1人でトイレに行けなくなったら病院の緩和病棟に入院を、と考えているとのこと。
遠方に住む姉が「行きたいけど、気にするかと思って~」と来ることを迷っていることを母に話したら、「今はまだ・・・。入院したらその時は」と。親戚にもまだ知らせていないと・・・。
 
今日は泊まらずに帰ると話すと「寂しいな」と父。今まではそんなこと言わなかったのに・・・玄関のドアを閉めた途端涙が出ました。
10月6日

父の病状

今日もお天気が良かったので自転車に乗ってどこかへ~と思っていましたが、朝、母からメールが届きました。
「お父さんのことで相談したいことがあるので、家にくることはできますか?」とのこと。もちろん実家に行ってきました。
 
父の様子は・・・
・9月中旬からの微熱がまだ続いてる
・食欲がない
・横になっていることが多い~意欲の低下?
・咳や呼吸の苦しさの訴えはない
・顔色が悪い・・・・・
 
母は涙を流していました。不安で・・・
 
これからのことで母と確認したこと
・総合病院と個人病院にかかっていますが、メインを個人病院にする事を伝える
・痛みや苦しさがでたときに、本人が緩和を希望すれば総合病院に入院する
・今後も延命の為の積極的な治療は行わない
 
母とは「一緒に考えよう」と話し合い、今できる精一杯のことをしようと決めました。
私の役割は母を支えることです。
9月24日

父を思う

今年の1月に間質性肺炎と肺ガンの診断を受けた父の、2カ月ぶりの診察日でした。
敬老の日頃から微熱が続き食欲がないと母が話してたので心配でした。今日の診察の結果「肺炎」と診断され、1週間分の抗生物質が処方されました。父は元気で微熱があるようには見えませんでしたが、私が居たからかもしれません。母の勧めで今週末に出席する予定だった会合と来週のゴルフの参加を「急用があって・・・」と上手に断っており、ほっとしました。
認知症の父は、断りの電話をした後も何度も「電話をしただろうか」「断っただろうか」と母に聞いていました。10月のゴルフの予定も、本当は断って欲しかったのですが、なかなか納得してくれませんでした。
 
父の言うことは絶対~そんな家庭に育った私は、子供の頃、父を身近に感じる機会はあまりありませんでした。そんな威厳があった父は年を取り病気をしてだんだん小さくなっていき、気持ちも弱くなってきました。今日、父を見ていてとても愛おしいな と感じました。父をそのように感じたことは初めてだったので、不思議な感覚でした。
私にとって、守ってくれる存在から守るべき存在に変わった瞬間なのかも知れません。
 
薬の内服で肺炎が改善して、今まで通りの生活を送る事を願っています。
4月14日

父のこと

今日は父の受診日だったので付き添いました。
4月から担当医が変わると聞いていたので、どんな医師になるのか~、父に告知しないことがきちんと伝わっているか心配でした。
今回も若い医師で頼りなさそうですが、急を要する病気ではないのと、外来の看護師さんがベテランそうな人だったので安心しました。今回は検査はなく問診のみ。6月の受診時にCT検査があります。
最近少し咳をするようになり、その度にドキドキします。やはりガンは進行しているようです。
 
父は何度も同じ事を尋ね、帰宅後も次回の受診日を何度も母に聞き書き留めていました。認知症はまた少し進んだかも知れません。
ただ、表情がおだやかなことに気持ちが安らぎます。
 
元気なうちにたくさん思い出を作っておこうと思っています。
2月26日

父の病状

肺ガン疑いで検査入院していた父。先日退院後初めての診察がありました。
入院時の検査では肺の深い部分にある腫瘍の細胞を採取する事ができず、はっきりとした診断ができませんでした。今回はCT検査。腫瘍部分は若干成長しており、担当医は「おそらく癌でしょう」と診断しました。父には告知していませんので、私は遅れて診察室に入り医師から状況説明を受けました。
 
癌の成長は遅く、現時点では自覚症状はありません。このまま経過すると2~3カ月で咳などの症状が出現する可能性があるとのこと。間質性肺炎もありますから、むしろそちらの急変の心配が強いようです。間質性肺炎の治療方法はないとのこと。風邪などの体調不良をきっかけに急激に悪化するそうです。次の診察は2カ月後。症状が出たらすぐに受診するようにとのことでした。 
もう一つ。今後の治療方針について確認されました。癌の根治を目指すのであれば最後のチャンスだからです。
以前から家族で話し合っていたとおり「父には出来る限り普通の生活を続けて欲しい。心身に負担がかかる積極的な治療は行わない方針に変わりはありません。」と伝えました。
 
父の認知症は大きく変化はありませんが、やはり日にちの感覚がにぶってきているようです。あと、母の姿が見えないと不安そうにします。不安そうな父を見ていると悲しくなります。
母と話しました。「お父さんに告知しなくて良かったよね」って。癌の不安を抱えて過ごす日々は本人にとっても、それを見守る家族にとっても辛すぎます。
母に聞きました。「お母さんは告知して欲しい?それとも欲しくない?」
その時答えは出ませんでした。
1月20日

父のこと~検査結果の説明

先日、入院していた父の検査結果について医師から説明がありました。
「ガンは本人に告知しない」と言っていた母の意見を尊重し、初めに両親と私の3人で説明を受け、その後私だけで話を聞きました。
父に説明した病名は「間質性肺炎」。
私だけが聞いた病名「間質性肺炎」+「肺ガン疑い」
肺カメラ検査をしたのですが、下部の先端で細胞が取れなかったそうです。別の検査で癌の反応があったので「肺ガン疑い」とのこと。1カ月後にCT検査を行い経過観察を続けるとのことです。
癌の根治のためには手術しか方法はない。でも、間質性肺炎が手術の刺激で悪化する可能性があること。入院生活が父の認知症の進行を進めてしまう可能性があること。高齢なので一気に体力や気持ちを低下させてしまう可能性があること。入院に付き添う母の体力的な心配を考えて、積極的な治療は行わないという家族の方針を出しました。父には出来るだけ長く「普通のくらし」を続けて欲しいから。
 
まだ自覚症状なく、普通に日常生活を送っています。間質性肺炎も予後が良い病気ではないので、今後、咳・痛み・食欲不振・息苦しさと言った症状が出てくるとのことです。
今回の医師からの説明に私が同席することに対して、「そんなに悪い病気なのか」と母に話していたとのこと。医師から「ガン細胞は見つからなかった」(事実ではありますが)との説明を受けて、ほっとした表情の父を見ていると、病気の告知って難しいものだとつくづく感じました。
次回受診は2月18日。父には言えない病気の進行具合を聞いてきます。「遠方に住んでいる姉も心配しているので報告しなくちゃならないから、次回受診に同席するからね」と今のうちから父に伝えておきました。告知するのもしないのも難しいです。
家族として何がベストなのか・・・選択の厳しさを感じています。
1月3日

父のこと

12月31日~1月3日は実家で過ごしました。
年末はみんなで紅白を見ながら食事をして、元旦はおせちで新年の挨拶後、女性陣は着物に着替えて神社に初詣。
毎年恒例のお正月の過ごし方です。こうしていつも通りに過ごせることは「幸せなこと」です。
 
昨年あたりから父の物忘れが多くなってきており気になっていました。
夏休みに1週間ほど過ごしたときにはあまり気にならなかったのですが、今回は父の歩行状態が今までと違っていることに気がつきました。パーキンソン様の前のめりの歩き方。
認知があるということは「レビー小体型認知症」の可能性大かな~と母に日頃の様子を聞いてみました。身近にいるとあまり感じないけど、春あたりから様子が違ってきたとのこと。幻覚や妄想は出現していないようですが・・・。物忘れは進んでいて、以前は「同じ事を何度も尋ねる」事が主でしたが、最近は日にちの感覚がわからなくなってきたようです。薬の内服については何度も母に確認しています。
 
そして、肺ガンの疑いで1月中旬に検査入院をするとのこと。
もしガンだったら・・・
母は「お父さんは気にするタイプだから、本人には告知しない。延命はせず自宅で看取りたい」と。
 
ガンでは無かった場合、認知症の検査を受けるかどうかについては・・・
母は「検査となると本人に色々なことを聞くでしょう。本人にとって腑に落ちないこともあるかも知れない。認知症と診断されても治す薬がないんだから、嫌な想いはさせたくない。」
介護保険の申請については・・・
母は「認定調査を受けることに抵抗があるかも知れないから、できるだけ自分で介護をする。出来なくなったらその時は公的なサービスを利用したい。」
飛行機会社で介護割引があるから、遠方に住む姉が来るときに利用することを理由に認定調査を受けてもらう手もあるよね、と母と話しました。
 
家族って重たいんだな、と感じました。父の性格、母の思い、私に出来ること。
お正月早々に色々と考えました。